C'est égal.

 先日、車を買った。自分で買うのは初。実家にいた頃は家の車を毎日のように運転していたけれど、東京に出てきてからはほぼ運転していなかった。販売店に納車された車を取りにいき、そこから家まで運転したのが、じつに10年以上ぶりの運転となった。

 それで週末はリハビリもかねて車でお出かけ。まずは都心のほうへ。みんな飛ばすよなーというのが久々に運転してみた感想。僕は怖いので法定速度どおりに走るが、普通にどんどん追い抜かれる。途中、新宿あたりで何度か信号につかまり停車がてら街を眺める。初夏の晴れた新宿の街を行きかう人びとの姿はつきづきしい。

 いったん帰宅し、今度は都心とは逆、埼玉のほうへ。荒川を見にいこうということで出発したのだが途中で天気が急転、警報が出るほどの大雨となる。大粒の雨が車の天井を叩きヒョウでも落ちてきているのかというゴツい音が鳴り、ワイパーを高速にしても視界がにじむ。そのにじんだ視界に稲光がジグザグの線を描き、つづいて轟きが起こる。安全運転を心がけ、川(というか川の手前の土手の下)にはなんとか到着したものの、雨脚がひどすぎて車から出ることもかなわず、ただ引き返してくるだけとなった。が、これもまた初夏の一コマ。帰りに秋ヶ瀬橋を渡るとき進行方向(南のほう)を見ると高い建物もない空が一面の灰色で不穏にうごめいていた。

 さて前回のつづき。なぜいま再び7年間の休止を経てブログを再開しようと思ったのかという話だが、やー、ツイッターで情報を漁るのに疲れたんですね! ツイッターといっても僕の場合は自分で何かをつぶやくわけではなく、人のツイートを読むだけのROM(いまでもこの言い方をするのだろうか)というやつだけど、この1年数ヵ月ほど、ひたすら人のツイートを読んでは情報を仕入れるということをやっていた。おもにコロナと政治に関する情報を。(これはいまあらためて振り返ると危険な兆候とも言える。人によってはそうして陰謀論にハマるのだろう。)

 それでご存じのようにツイッターというのは感情を刺激しやすいものだから、あるツイートを読んでは怒り、次のツイートを読んでは悲しみ、次のツイートでは笑いがこみあげ、また次のでは怒りがわく・・・みたいなことをえんえんやっていると自分のなかの感情をつかさどる部分がおかしくなってきた。チューニングが合わなくなるのではない。合うことは合うのだが、ものすごいスピードでチューニングを合わせるためにチャンネル数じたいを限定し、3つか4つしかないチャンネルのあいだをひたすら高速で行き来する感じというか。

 人間そんなことしちゃいかんです。それでなんかもうこういうの疲れるわーやめよーとなって、近ごろでは特に気に入った人のツイートだけをしみじみと読むようにしている。と同時に、自分としてももうちょっとゆったり物事を考えられるスペースが欲しいというような気分になっていたのか、「またブログ書こうかなあ」と考えはじめた。いや、「ゆったり物事を考えられるスペース」が欲しいというより、ツイッターで情報を漁っていた頃は「考える」ということを放棄していたわけだから、端的に「考えるスペース」が欲しいということなのだろう。この「スペース」というのは「遅さ」と言い換えてもいいのだけど、どうやらいまの自分はブログ程度のスペース=遅さを必要としているみたいだ。

(それからもうひとつ。ブログというものがかつてほどの勢いがなく、いまや衰弱してほとんど死に体だというのも、あえて書こうと思った理由かもしれない。)

 ともあれブログなるものを再開し、するとかつて「自分でも書き、人様のも読む」ということをやっていたように、いままた他の人のブログを読むようになっている。ツイッターに溺れていた1年数ヵ月のあいだにはなかったことだ。

 以前によく訪れていた古谷利裕さんの『偽日記』や坂中亮太さんの『at-oyr』(昔はちがうタイトルだった気もするけど)はいまもご健在。黄金頭さんの『関内関外日記』も。『メモリの藻屑、記憶領域のゴミ』というのもよく読んでたな。他には何があったっけ、と考えるのが楽しい。

 他方でかつて好きだったのにいまでは消えてしまって探せない、あるいは非公開になってしまったブログもある。三宅誰男さんの『きのう生まれたわけじゃない』とか、takiko17さんの『Genius plus Love』とか。こういうのはふつうに寂しい。一方的ではあるが親近感をおぼえ、世界を相手に共闘しているつもりになっていたから。この場合の「共闘」というのは「よしいっしょにがんばろう」みたいな示し合わせもなく、各人が各人の状況と意志にもとづいて勝手に起ちあがったときに、たまたま似たような方向を見ていた程度の意味だが、まあ、いずれまた出会うこともあるでしょうし、会わないこともあるでしょう。それはどちらでもいい気がするのです。

(ところで、「ブログ」「ブログ」って書くのなんだか恥ずかしい。他に言いようがないから上では「ブログ」って書いたけどさー。「日記」だと意味がブレちゃうし。)