きゅうしん、きゅうしん

 道路地図帳が欲しくなって仕事帰りに池袋ジュンク堂の2階であれこれ読み比べ。それでまあド定番ではあるけれど、りんごマークの『スーパーマップル』がよくできていることよなーということでこれを買おうそうしようと思ったところでふと待てよ。財布にいくら入っておったっけと見ると3千円しか入っていない(『スーパーマップル』は4千円)。仕方がない、コンビニでおろすかということでいったん店の外に出ると行きかう傘の群れ、足早な人びと。いつのまにやらそれなりに強い雨が降り出しており、雨の日に本を買うのもなーなんだかなー濡れたら萎えるしなーとなって結局コンビニではなく駅に直行して電車に乗って帰る。

 晩ごはんは昨日猫の誕生日に出したマグロが余っていたのでねぎま鍋。それだけでは量が足りないので豚肉ともやしの炒め物。酒はビール、日本酒。いつもねぎま鍋を食べるたびに『美味しんぼ』の快楽亭ブラックさんが「ねぎまの殿様」を演じるシーンがよぎる。殿様がねぎを噛むと熱い芯の部分がぴゅっと飛び出してノドの奥に命中し、「このねぎは鉄砲じかけになっておるな」うんぬん。

 ところで前回の日記で「今日からブログを始める」と書いたけれど、これは正確には「今日からブログを再び始める、再開する」という意味。というのは以前にもブログを書いていたことがあったからだが、あれはいつだったろう? と調べると2008年から2014年にかけてのようだ。そうか、もうあれから7年も経ったのか、となにやらしみじみと感じ入るところだが、ともあれこのたびの新たなブログのタイトル「Vol.2」には、そのあたりの事情が込められている。

 旧「那須日記」はなぜやめてしまったのか。なぜだろう・・・わからない。始めたときのことはよく覚えている。2008年の7月のことだ。僕は岡田利規さんの『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を読み、あまりにすごかったので心がざわざわし、しばらく吸っていなかったタバコを夜遅くコンビニに買いに走り、吸い、それでも依然としてざわざわがおさまらず、「よし、人もすなるブログといふものを、我もしてみむとてするなり」ということで書きはじめたのだった。

 心のざわめきをしずめる手段として何かを書くということならべつにブログじゃなくてもよかったはずだ。個人的な日記でも、知人へのメールでも、ツイッターその他のSNSでも。それがなぜブログだったか? というとこれは単純で、当時自分が人様のブログをあれこれ読んでいたから。読み、そして、いずれ自分もきっかけがあれば書いてみようと思っていたから。その「きっかけ」がたまたま岡田利規(を読んだことによる心のざわめき)だったというわけ。

 飽きたらすぐにやめようくらいの気楽さで始めたにもかかわらず、思いのほか続いた。たしか1500記事以上書いたのだったと思う。そのかん、人様のブログを読むのもいよいよ楽しくなり数多くのブログを読んだものだ。自分の日記を書き、人様の日記を読み、書き、読み、書き、読み、と、そんなふうにして気づけばブログ開設から6年以上が過ぎていた。それなりに熱中していたということなのだろう。

 しかししだいになんとなく、そう、「なんとなく」ブログなるものと疎遠になっていった。強いて輪郭のはっきりした言葉を与えれば「飽きた」とか「疲れた」となるのだろうが、自分の感触としてはもっとずっと「なんとなく」ブログから離れていった。自分のブログを更新する頻度は間遠になり、よそ様のブログもこまめに追わなくなった。そしてある日、書くのをやめた。いや、「ある日」といっても、明確に「やめよう」と思った日があったわけではない。もっとずっと「なんとなく」、いつのまにか書くのをやめていた。だから旧ブログの最終更新日は「今日で最後にしよう」と決めた日付ではない。そもそもそんな日付は存在しなかった。

 さて、ではなぜいま再び、7年間の休止を経てブログを再開するのか?

 ・・・というところまで書いて疲れたので今日はこれくらいにしておこう。つづきは次回。